【博物館明治村】楽しみながら本物の建築を学ぼう!③

2018.8.20

愛知県犬山市にある「博物館 明治村」。明治時代の建築をメインに、大正時代や昭和初期までの名建築が移築・保存されている野外博物館です。東海エリアの方は家族とのお出かけや社会科見学などで一度は訪れたことがある方も多いのではないでしょうか。


明治村の創設は、「取り壊しの運命にあった近代建築をなんとか救いたい」という想いからはじまりました。帝国ホテルも、夏目漱石の家も、この施設がなければ取り壊される運命でした。移築する際は、ひとつひとつていねいに解体をし、部材には番号をつけて運び、立て直しをしています。それほど、明治村は貴重な明治の建物を後世に伝えている場所なのです。そんな明治村を一周しながら、歴史的な建築を学んでいきましょう。名建築は家づくりやインテリアのヒントもたくさんです。


全3回でお送りしている明治村特集ですが、今回が最終回です。今回は、NHK朝ドラ「花子とアン」のロケ地にもなった「北里研究所本館・医学館」のある3丁目から、「聖ヨハネ教会堂」のある1丁目までまとめてご紹介します。


<第一回目の記事はこちら>
https://house-designs.jp/webmagazine/meijimura/

<第二回目の記事はこちら>
https://life-designs.jp/webmagazine/meijimura2/

 

 

日本で3番目の広さを持つ野外テーマパーク
「博物館明治村」とは

 

京都市電日本で初めて開通した市内電車「京都市電」。明治時代ののりもので園内を移動できます。


はじめに「博物館明治村」について少しだけご紹介していきます。


明治村では、入鹿池に面した風景の美しい100万平方メートルの丘陵地に、国の重要文化財に指定された11件を含む67件の建造物を展示しています。その敷地面積は広大で、日本で3番目の広さを持つ野外テーマパークです。ドラマや映画などのロケでも多く使われ、まるで明治時代へタイムトリップしたかのような風景が広がります。

 

明治時代は鎖国が解かれ、世界の文化を取り入れ、あらゆる面で近代化の基盤となった重要な時代です。従って明治建築も江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れられました。

 

石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築きました。

 

 

朝ドラ「花子とアン」のロケ地になった
「北里研究所本館・医学館」

 

北里研究所本館・医学館

 

北里研究所は、日本の細菌学の先駆者である北里柴三郎博士が、伝染病の研究所として設立したものです。創建当時の平面プランはL字型ですが、明治村へは一部が移築されました。博士自身が学んだ研究所にならい、ドイツのバロック風を基調としています。朝ドラ「花子とアン」では、ヒロインが入学した女学校の設定で外観が使われています。

 

北里研究所本館・医学館

 

正面階段を入ってすぐにある中央階段。飾り棚も当時のものです。飾り棚の上部には、北里博士が発見した「破傷風菌」と平和のシンボル月桂樹をあしらった北里研究所のマークが彫り込まれています。

 

北里研究所本館・医学館

 

顕微鏡を良好な状態で観察できるよう、各階とも光の変化が少ない北側に研究室を配置し、廊下は南側に通されています。

 

北里研究所本館・医学館

 

北里研究所本館・医学館

 

内部では、北里研究所の研究についての展示がされています。北里博士は、東大で医学を修めた後ドイツに留学し細菌学を研究、破傷風菌の培養、破傷風の血清療法によって学界に認められました。

 

【北里研究所本館・医学館】
旧所在地:東京都港区白金
建設年代:1915年(大正4年)

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/3-25.html

 

 

純粋な洋風建築にはない面白さがある
「東山梨郡役所」

 

東山梨郡役所


1885年(明治18年)に、東山梨郡役所として山梨県東山梨郡日下部村(現在の山梨県山梨市)に建てられた建物です。明治40年に明治村へ移築され、明治村では最初期の移築建物のひとつで、重要文化財に指定されています。

 

当時の山梨県令・藤村紫朗氏は開明的な人物で、地元に多くの洋風建築を建てさせています。人々はそれらを「藤村式」と呼び、この東山梨郡役所もその一例。正面側にベランダを廻し、中央棟と左右翼屋で構成する形式は、当時の官庁建築の特徴です。

 

東山梨郡役所

 

東山梨郡役所

 

地元の職人の手によって建てられていますが、木造桟瓦葺の外形に伝統技法を駆使してさまざまな洋風の意匠を施しています。

 

東山梨郡役所

 

東山梨郡役所

 

ベランダの天井を網状に仕上げるのも、この時期の洋風建築に広く見られる特徴です。

 

東山梨郡役所


天井照明台座の漆喰細工は、伝統的な花鳥風月のモチーフになっています。

 

【東山梨郡役所】
旧所在地:山梨県山梨市日下部町
建設年代:1885年(明治18年)

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/2-16.html

 

 

国産鉄造建築物の初期の実例
「鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車」

 

鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車


こちらは、1889年(明治22年)に建てられた「鉄道局新橋工場」です。日本で製作された鋳鉄柱・小屋組鉄トラス・鉄製下見板・サッシなどを組み立てたもので、国産鉄造建築物の初期の実例となる建物。それ以前に輸入材でつくられた工場建物にならって、フォート・インチを採用しています。

 

鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車


建物内部には、天皇・皇后・皇太后・皇太子のための特別な車両である「昭憲皇太后御料車(5号御料車)」が保管・展示されています。

 

鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車

 

鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車


5号御料車は最初の皇后用御料車として製作された全長16m余、総重量約22tの木製車両です。車内には、帝室技芸員の橋本雅邦氏・川端玉章氏が描いた天井画が描かれています。その他にも、昭憲皇太后のご実家一条家の家紋の藤をあしらった布が椅子や腰張りに使用されているなど、華麗な内装がなされています。

 

【鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車】
旧所在地:東京都品川区大井町
建設年代:1889年(明治22年)

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-12.html

 

 

西郷隆盛の弟である西郷從道の接客用の洋館
「西郷從道邸」

 

西郷從道邸

 

木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代のはじめ西郷隆盛の弟である西郷從道が東京上目黒の自邸内に接客用として建てたものです。当時在日中であったフランス人建築家レスカス氏の設計ではないかと考えられています。

 

西郷從道邸


建物の特徴は、半円形に張り出されたベランダ、上下階の手すりなどデザイン性の高さだけではありません。屋根に重い瓦を使わずに軽い銅板をひいたり、壁の下の方にレンガをおもり代わりに埋め込み建物の浮き上がりを防ぐなど、耐震性を高めるための工夫も凝らされています。レスカス氏は、日本建築の耐震性についての論文をまとめ、自国の学会誌に寄せています。

 

西郷從道邸

 

西郷從道邸

 

西郷從道邸

 

家具・インテリア・手摺・扉金具・廻り階段など、内部を飾る部品はほとんど舶来品でまとめられています。「西郷從道邸」では、土日に建物ガイドが実施されているので、詳しく知りたい方はぜひ参加してみてくださいね。

 

【西郷從道邸】
旧所在地:東京都目黒区上目黒
建設年代:1877年(明治10年)代

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-8.html

 

 

中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調とした
「聖ヨハネ教会堂」

 

聖ヨハネ教会堂

 

聖ヨハネ教会堂は、1907年(明治40年)に京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会です。二階が会堂、一階は日曜学校や幼稚園に使われていました。中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを取り入れた外観が特徴的。

 

聖ヨハネ教会堂


構造は1階が煉瓦造りで2階が木造漆喰壁で構成されています。建物細部の随所にゴシック風の尖頭アーチが見られ、特に正面入口は、レンガ積の角柱から柱頭飾りをはさんでレンガ積のきれいなアーチが立ち上がっています。

 

聖ヨハネ教会堂

 

聖ヨハネ教会堂

 

会堂内部の屋根裏は、伝統的な日本建築で見られる化粧野地の竹簾が張られています。京都の気候に合わせて使ったと言われています。竹簾が窓からの光を反射し、より開放感を増しています。

 

聖ヨハネ教会堂

 

【聖ヨハネ教会堂】
旧所在地:京都市下京区河原町通五條
建設年代:1907年(明治40年)

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-6.html

 

 

ここからは1〜3丁目にある建物をダイジェストでご紹介していきます。

 

 

明治期木造洋風建築の特色が色濃い
「千早赤阪小学校講堂」

 

千早赤阪小学校講堂

 

1階が雨天体操場、2階が講堂となっているこの建物は、もとは大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にありましたが、1929年(昭和4年)同校の校舎が新築される際に、南河内郡千早赤阪村の小学校に移築されたものです。木造二階建桟瓦葺寄棟造で、1階は櫛形アーチのアーケードをめぐらせています。棟飾やせいの高い軒蛇腹など、明治期木造洋風建築の特色ある意匠を示す建物です。

 

【千早赤阪小学校講堂】
旧所在地:大阪府南河内郡千早赤阪府
建設年代:1897年(明治30年)頃

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/2-14.html

 

 

実際に文明開化の象徴「牛鍋」を楽しめる
「大井牛肉店」

 

大井牛肉店


横浜・長崎につぎ、1867年(慶応3年)に開港した神戸に、牛肉販売と牛鍋の店として建てたられた建物です。外国の商館が立ち並ぶ新しい町、その街中の商店にふさわしく、洋風の建物で、正面を華やかに飾っています。洋風のデザインですが、日本古来の技法が用いられ、木造に白漆喰を塗って柱や窓廻りを仕上げています。

 

実際に、文明開化の象徴「牛鍋」を楽しめる牛鍋屋として営業しています。ぜひ明治の味を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

【大井牛肉店】
旧所在地:神戸市生田区元町
建設年代:1887年(明治20年)頃

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-2.html

 

 

文明開化の影響を受け、和洋が混在した
「学習院長官舎」

 

学習院長官舎

 

文明開化の名のもと、さまざまな場で洋風化が進められていきました。しかし、私的な生活の場である住宅においては、完全には様式とは成り得ず、和洋の混在する形式が生まれました。

 

こちらの学習院長官舎も洋館と和館とをつなぎ合わせた形式の建物です。学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷が用いられました。階段室を中心に、手前に洋館、奥に和館を接続させており、この階段室を通って、洋館と和館の間を行き来できるようになっています。

 

【学習院長官舎】
旧所在地:東京都豊島区目白
建設年代:1909年(明治42年)

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-7.html

 

 

和の中に洋があしらわれたデザイン
「芝川又右衛門邸」

 

芝川又右衛門邸

 

芝川又右衛門邸は、大阪の商人・芝川又右衛門の別荘として建てられたものです。後に京都帝国大学建築学科の創設者となる武田五一氏によって設計されました。武田氏は、日本で初めてアール・ヌーボー様式を取り入れた住宅を設計した人物です。その後、芝川氏の依頼から、ヨーロッパのグラスゴー派やウィーンのゼツェッションと、日本建築の伝統とを融合したこの洋館を建てました。

 

1階ホールは土壁に市松模様の天井、2階の座敷には暖炉が設けられるなど、建物全体として和の中に洋があしらわれたデザインになっています。

 

【芝川又右衛門邸】
旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目
建設年代:1911年(明治44年)

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/3-68.html

 

 

2丁目には、明治時代風ドレスや矢絣・袴姿に着がえて、記念撮影を楽しめる「ハイカラ衣装館」もありますよ。


いかがでしたでしょうか。全3回でお送りしてきた「明治村特集」も今回が最終回となりました。建てられた経緯、時代の背景、構造や素材を知った上で建物をみると、新たな発見があるかと思います。ぜひ気になった建物は、実際に足を運んでみてくださいね。

 

一つひとつ丁寧に移築された名建築の数々からは、さまざまな建築やインテリアの知識を学ぶことができます。明治村で本物の建築巡りをしてみてはいかがでしょうか。

 

【博物館明治村】
住所  :愛知県犬山市字内山1番地
営業時間:公式Webサイトにてご確認ください
定休日 :公式Webサイトにてご確認ください

http://www.meijimura.com/