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国内の感染者が日に日に過去最多を記録している中で、日々自分たちができることは免疫力を高めることです。韓国のキムチが過去最高の輸出を記録したのも、キムチが免疫力を高める食品というイメージが高まったことにあります。
それだけ、世間がどうしたら免疫を高められるのに意識が向いているのかがわかります。
そこで今回おすすめするのが、薬や病院にたよらず健康を保ちたい人の必読書「家庭でできる自然療法」です。
一家に一冊はおいておきたい!「家庭でできる自然療法」
筆者自身、長年慢性蕁麻疹に悩まされてきており、薬が欠かせない生活を送っていました。食生活から根本的に変えたい。できる限り、薬に頼らずに生活がしたいと思っていたところ、この本に出会いました。
著者は、自然療法の第一人者・東城百合子先生です。 自らの大病を、食事と自然療法によって克服したことをきっかけに健康運動をはじめ、自身の経験の集大成として書かれたのが本書です。一般の書店では販売していないのにもかかわらず、なんと版を重ねること980版!(現在は楽天やAmazonで購入可能)
1978年の発売から現在まで売れ続けている超ロングセラー本です。
この本のポイントは、病気・怪我など症状別の細かい項目が書かれていること。そのため、病気や怪我で困ったときは、お医者さんに行く前にとりあえずこれを開いてできることを探せます。あらゆる病気に対する自然療法の情報が満載なので、一家に一冊常備しておくと心強い味方になってくれます。
風邪や頭痛、ガンや糖尿病、ぜんそくなどの病気から、不眠症やハゲなんていう項目まであるんです。
本書の中から今回は一部をご紹介します。
風邪について
まず風邪については、食べ過ぎによる胃腸の疲れが原因と書かれています。断食中はどんなに寒くても風邪を引かないそうです。また必死に気を張っているときもひかないと書かれています。そういうときは自律神経が活発に動いているからなのだそう。確かに、気を張っているときは体調を崩さないように必死ですよね!
気持ちがだれたり、くよくよすると自律神経が乱れる。その上、胃腸が弱っていると年中風邪を呼び込んでしまうそうです。
風邪をひきやすい人は間食をやめて、すりごまたっぷりのごはんをよく噛んで食べて、1日に2個梅干しをとり、腹八分目にすること。と書かれています。
そうすることで、身が軽くなり、風邪をひきにくいカラダになるそうです。
カラダが芯からあたたまる「梅醤番茶(うめしょうばんちゃ)」
疲れたときや調子が悪いときにおすすめな、健康的で体に優しい水分補給が「梅醤番茶(うめしょうばんちゃ)」です。
つくり方はとっても簡単!
<用意するもの>
・梅干(できれば昔ながらの梅)
・醤油
・おろし生姜
・三年番茶<つくり方>
梅干し一個を種を取り、湯のみ茶碗に入れて突き砕く。
醤油を入れて練る。
おろし生姜を入れて、熱い番茶を八分目ほど注いでかき混ぜる。
味加減は自分の好みに合わせて調整してみてくださいね。空腹時や食前に飲むのがおすすめです。
このように本書の中では、さまざまな食事療法、手当ての方法が書かれています。もちろん医療に頼ることが必要なときもありますが、いざというときに頼れるものがあるのは心強いものです。
今回は、”自然療法”をテーマにお送りしました。
身近なものでカラダを守れる自然療法を取り入れてみてくださいね。
【本書の内容と特色】(本書トビラより抜粋)
台所にある野菜や、裏庭に生えている薬草など、手近にあってどなたにでもできる家庭療法は忘れられていますけれど、健康づくりのためにはとても大切な事だと思うのです。公害や薬害、食品添加物等で悩まされる時、真の健康をとりもどすために、自然の生命力にとんだ食品や薬草、野草、自然療法をとりいれて、保健のために病気治療のために、副作用なく生命力を増す方法をなさってみてはいかがでしょう。 私が、病気の時助けられたものや、長い間にやってみてよかったと思うものを集録してこの本にまとめあげました。薬のいらない健康法をどうか皆さんでなさってみてください。
【著者プロフィール】
東城百合子
大正14年岩手県に生まれる。昭和17年、当時日本の栄養学の草分けだった佐伯矩博士に師事、栄養士となる。昭和24年重症の肺結核となり、玄米自然食によって白らの病気を克服する。以来自然食を主とした健康運動に力をそそぎ終戦後の混乱のさめやらぬ 沖縄にわたり、沖縄全島に健康改革の灯をともし、 沖縄の健康運動に力をそそぐ。世界的な大豆博士といわれ、当時国際栄養研究所所長、国連保健機構理事、W・H・ミラー博士に師事。いよいよ健康改革運動に情熱をもつ。昭和39年沖縄より帰京、東京に居をすえて、出版活動、自然食料理教室、栄養教室、講演活動と自分を育てるために啓蒙運動に力をそそぐ。昭和48年5月、月刊誌「あなたと健康」を出版し、以来出版活動を中心に運動を進め、令和2年2月22日逝去。