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”お不動さま”の名称で慕われる不動明王をお祀りする代表的なお寺のひとつといえば、千葉県の真言宗智山派の「成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)」。歌舞伎の市川團十郎丈といえば、わかりやすいかもしれません。その別院にあたるのが愛知県犬山市にある「大本山成田山名古屋別院大聖寺」、通称「犬山成田山」です。
高台に建つお寺からの眺望もすばらしく、実は交通安全祈願の元祖でもある成田山。ドライブがてら気軽に立ち寄って、お不動さまを身近に感じてほしいスポットです。
成田山と不動明王
※写真はイメージ
本山の成田山新勝寺、そしてここ別院の犬山成田山のご本尊である不動明王とはいったいどのような存在なのでしょうか。
不動明王はすべての徳をもつという大日如来の怒りの化身とされています。
また、もともとは南インドのドラビダ族の色の黒い奴隷を表しており、まとっている服も奴隷の服装で、最下層にいながらも人々の願いにこたえるため奉仕する……といった誓願の姿を表しているそう。
右手の剣は人々の悩みを断ち切り、左手の縄は苦しむ人を救い上げ、炎は人々の煩悩を焼き尽くすとともに、人が本来持つ魂を輝かせるための智慧・叡智の表れだと言われています。
では、成田山と不動明王の関係にはどのようなつながりがあるのでしょうか。
起源は平安時代の「将門の乱」にまでさかのぼります。
当時千葉で反乱を起こしていた平将門を討つため、朝廷から命をうけた寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)という僧が、京の高雄山神護寺に安置してあった不動明王の仏像を持して、大阪から千葉に向かいます。そして千葉に上陸した寛朝大僧正は、21日間の護摩祈祷を行い、その満願の日に平将門の乱が収まります。
乱が収まり、その仏像を持して京に帰ろうとしたところ、重くて動かなかったために、現在の場所に開山した……というのが新勝寺のはじまりです。
そんな成田山の名が全国に広まった理由のひとつが、信仰に熱心だった初代市川團十郎丈が、当時の歌舞伎に不動明王の題目を取り入れて人気を博したことが大きかったそう。
成田詣(なりたもうで)人気で、中部地方の人もはるばる千葉まで直接出向いていましたが、地域の人たちの要望もあり、昭和28年に犬山成田山を別院として建立。現在は東海屈指の不動明王尊信仰の中心の地となっています。
まずは本堂でお参りを
ではさっそくお参りから案内しましょう。車やバスで来た場合、一番下の駐車場にある明王門(写真)の門から階段をのぼります。足の悪い方は、本堂そばにも駐車場があるので、車でそこまでのぼってご利用くださいね。
階段をのぼり、朱色の鮮やかな明王門をくぐると……
ひとつ上のまた大きな駐車場にでます。ここは車の祈祷などが受けられる場所でもあります。階段を少しでも省きたいかたは、この駐車場に止めるのがよさそうです。
そしてさきほどの明王門をまっすぐ進むと、今度はこちらの階段となります。本堂はここをのぼりきったところにありますので、ゆっくりのぼっていきましょう。
階段がキツい人は、左隣に坂道があるので、こちらから階段の途中までいけます。
階段と坂道の合流地点では、ベンチもあってひと休みもできるスペースも。ここからは階段のみとなります。あと一息頑張りましょう!
のぼりきると、本堂が真正面に出迎えてくれます。
お線香に火をともし、香炉に立てたら本堂でお参りします。
お寺ですので一礼してお参りします。その際、不動明王のご真言を唱えてみましょう。
<不動明王ご真言>
のーまくさんまんだー
ばーざらだんせんだー
まーかろしゃーだー
そわたや うんたらたー
かんまん
「お護摩」による祈祷は1日5回
成田山では、空海によって伝えられた密教特有の「お護摩」で祈念してくださいます。毎日朝7時から2時間ごとの15時まで、1日5回のご祈祷が行われます。
※お護摩・・インドの古い言葉で「焚く・焼く」という意味
祈祷の申し込みやお守り・御朱印などは、本堂右手にある総受付で対応してくれます。
本格的なご祈祷をお願いする場合は、祈願別にいろいろ種類があります。こちらで記入して受付に渡すと、指定の時間に本堂にいっしょに入って祈祷を受けられます。
手軽に祈祷をしたい方には、総受付の外に設置されたこちらの「護摩木」がおすすめ!(本堂には入れません)
護摩木は2種類あり、大500円・小300円です。
せっかくなので、私も祈願してみました!備え付けのペンで祈願したいことを記入して受付に持っていきます。
護摩木に書く内容は自由に書いてOKのようです。受付で申し込みをしたら、あとはお焚き上げをしてくださいます。
そして意外に知られていないのですが、実は大正時代、初めて交通安全の車のご祈祷をはじめたのが成田山とのこと。そう、車のお祓いの元祖なんです。大正時代といえば車を持つ人も少なかった時代ですが、車にお祓いをする精神というのは日本独自のもの。当時から交通安全を願って、いまでも多くの人がご祈祷に訪れています。
数々の命を救った「身代り御守」
御守の中でも特に注目したいのが、江戸時代から人気の「身代り御守」です。
江戸時代、大工の仕事で高さ17メートルの門の上にいた辰五郎という男性が、うっかり足を踏み外して転落してしまいます。慌てた大工仲間がかけよりましたが、カスリ傷ひとつなく、その際に身につけていた成田山の御守がまっぷたつに割れていたのだそう。
また戦時中も、無事を祈って多くの母親が息子にもたせることが多かったようです。実際に、岐阜県各務原市のかつての市長さんも、小さいころに戦争へ向かう際に、お母様からこの身代守をもらって身につけていたことで無事だったとか。自分のみならず、大切な人へ渡すのも喜ばれそうです。
そのほか、キティちゃんやトーマスなどのキャラクターの御守もずらり。
こちらは2022年の干支のお正月限定の御朱印 1,000円。※なくなり次第終了
優美な庭園とお抹茶が楽しめる
「若水庵(じゃくすいあん)」
本堂から左手奥に進むと、「若水庵(じゃくすいあん)」があります。昭和43年に犬山高校の礼法室を移築・復元したという茶室です。
きれいに手入れされた中庭。
中に入ると、広い畳敷きの和室とお庭、そしてその先には木曽川を挟んで岐阜の街並みまでも見渡せる景観が広がります。
千利休の聚楽屋敷にあったという残月席を模した茶室。
のんびりとお茶をいただきながら、ゆったりした時間を過ごすのもおすすめです。
<茶室 若水案>
利用時間 9:00~15:00
そのほかの境内のご紹介
こちらは不動明王の眷属(けんぞく※神様や仏様のお使い)の36体の童子。それぞれ顔の表情も違って身近に感じられます。
こちらの大仏は、戦時中に息子さんを亡くされた方が個人で建立したもの。
出世稲荷神社は小さい祠ですが、落ち着く空間です。
そして、お寺からさらに小高い坂を登ったところにあるのが「東之宮古墳」です。ここからは三種の神器といわれる勾玉・鏡・剣が出土しており、一説には魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の邪馬台国と敵対した狗奴国(くなこく)ではないか……との説も。歴史好きの人には、見逃せないスポットです。
階段をのぼった先からの眺望はとても気持ちよく、晴れていると犬山城や木曽川を挟んで岐阜の街並みまで見渡せます。
時間があれば、ここから車で約10分の場所に、日本初の女優といわれた川上貞奴女史(かわかみさだやっこ)が建立したという「成田山貞照寺」もあります。貞奴女史も成田山を篤く信仰していた一人。気になる方はそちらにもぜひ足を運んでみてくださいね。