2023年、大河ドラマでにわかに注目が集まる岡崎市。そのドラマにも登場する「大樹寺(だいじゅじ)」は、松平家・そして徳川将軍家代々の菩提寺です。そしてここは家康にとって、まさに人生の転換点ともなったといわれる場所。
自害しようとしたところを住職のある言葉で、太平の世を目指すことになります。それは一体どんなエピソードだったのでしょうか?みどころとあわせてご紹介します。
목차
大樹寺とは
愛知県岡崎市の大樹寺(だいじゅじ)は、家康はじめ、先祖の松平家と徳川将軍家代々の菩提寺です。
※菩提寺・・先祖代々のお墓があるお寺
創建は文明7年(1475年)、松平4代親忠(ちかただ/家康から5代前の先祖)によるもので、戦地であったこの地を清めるため、敵味方関係なく弔ったのがはじまりとされています。
幕末に本堂が火事で全焼し、ご本尊もその際焼失したため、京都の泉涌寺(せんにゅうじ)から、現在の一光千体仏と呼ばれる阿弥陀如来をお迎えしているそうです。
起死回生のエピソード
家康19歳のとき、桶狭間の戦いで命からがら大樹寺に逃げ帰ったときのこと、すでに寺のまわりは敵軍に囲まれていました。絶望した家康はもはやこれまでと、先祖のお墓の前で自害しようとしていたところ、当時の住職である登誉上人(とうよしょうにん)から、以下の言葉をかけられます。
「厭離穢土 欣求浄土」 【おん(えん)りえど ごんぐじょうど】
「戦国乱世の穢(けが)れたこの世を住みよい浄土にするのがおまえの役目」と諭(さと)され、太平の世を築くことを誓ったといわれています。それからの活躍はみなさん、ご存じの通りですね。そのため大樹寺は立志開運の寺として、現在も多くの人が訪れています。
家康公を肌で感じることができる
大方丈と宝物殿
本堂で参拝したあとは、家康にまつわるお宝に触れてみましょう。
繊細な絵がみごとなふすま絵(レプリカ)や、知られざるエピソードの貫木神(かんぬきじん)、そして歴代将軍の等身大の木造の位牌のある宝物殿(位牌堂)は必見です!
それではさっそく中に入ってみていきましょう。
冷泉為恭의 섬세한 대장의 밀기울 그림
入口はいってすぐに目にはいるのが、大方丈(おおほうじょう)です※。
各部屋のふすまには色鮮やかで繊細な絵が描かれていて見事です。
※方丈・・1丈四方の面積を指す。またその広さの部屋や建物の事
幕末期に活躍した絵師の冷泉為恭(れいぜいためちか/1823-1864)により描かれたもので、向かって左から「鶴の間」「牡丹の間」「鉄線の間」と横に並びます。大名の位によって控えるお部屋が違っていたようですが、どのお部屋のデザインも素敵です。
※通常は撮影禁止
이에야스 공 직필의 사경도 필견!
こちらは「上段の間」といい、将軍が休む際の最も重要なお部屋。
そして家康直筆の書には「南無阿弥陀仏」の文字がビッシリ!すごく達筆ですね!
さらに注目は最後の2文字。南無阿弥”家康”と書かれているのがわかりますか?家康の想いがこの2文字から伝わってくる気がします。
등예상인(도요쇼닌)과 관목신(칸누키진)
「貫木(かんぬき)の間」には、家康の自害を止めた登誉上人(とうよしょうにん)の像と、家康を救った意外な神様がおまつりされています。
それが貫木神(かんぬきじん)です。
大勢の敵軍に囲まれピンチだった際に、住職の一番弟子だったという「祖銅和尚(そどうおしょう)」が門にかかっていた貫木(かんぬき)を抜き取り、振り回して相手軍を撃退したそうです。
貫木は直径約10.2㎝、長さ152㎝、それを身長約2メートル、体重160キロ、70人分の力をもった怪力の和尚・祖銅和尚が振り回したら、さすがに相手も太刀打ちできないですよね。
※通常は撮影禁止
즐거움과 늘어선 등신대의 위패는 압권!
続いて松平家八代と徳川将軍14代の位牌が安置されている宝物殿(位牌堂)にはいってみましょう。向かって右手が松平家、左手が将軍家です。
通常位牌というと、手のひらにのる程度の大きさですが、こちらに安置されているのは、ご覧のとおり、すべて亡くなった当時の身長サイズの等身大の位牌。
「徳川の位牌は三河の大樹寺に……」という家康の遺言により、ここ大樹寺におまつりされるようになりました。ずらりと並ぶ位牌の前には人物の写真と説明もあり、より身近に感じられますよ。
※通常は撮影禁止
그 외 경내의 볼거리
そのほかの見どころは、松平七代清康(きよやす)が建立したという多宝塔。室町時代の建物で大樹寺の最も古い建物です。そのたたずまいは、お寺の外からの眺めも凜としていてカッコイイという一言に尽きます。
もうひとつ境内の立派な建物が鐘楼(しょうろう)です。三代将軍家光が建立したもので、この形は格式の高いものだそう。普段は使用していないそうですが、除夜の鐘の際には使われるそうですよ。
切り絵の御朱印や限定御朱印も
大樹寺の御朱印もいくつかご紹介しましょう。
一番人気は、切り絵の見開きタイプの特別御朱印(1,500円)。立志開運の文字と山門から見える岡崎城のデザインです。
こちらも限定の御朱印。松平家初代の親氏の発祥の地・高月院とのセットの御朱印は、令和5年のみの販売で、2枚あわせると、徳川家の家紋「葵紋」のデザインになるのも粋ですね。
そのほか、大樹寺を象徴する言葉「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の定番の御朱印300円(写真)ほか、季節の多宝塔の御朱印などもありますので、気に入ったのを探してみて下さいね。
御朱印帳や各種おまもりはじめ、お香好きだった家康が好んだ香木と生薬のお線香(1,100円)は、お土産にも喜ばれそうですね
岡崎城を望むビスタライン
入口正面の山門は、三代将軍家光が建立したもので現在は県指定文化財になっています。実はこの山門、逆側から見ると、ある景観が望めることで知られています。
どうですか?見えましたか?
そう、本堂側から山門を超えて、まっすぐ伸びた一直線上の先に見えるのは岡崎城!
これはビスタライン(展望ライン)と呼ばれ、3代将軍家光が本堂建て替えの際に、祖父の家康の誕生した岡崎城を拝めるよう、また岡崎城からも先祖代々のお墓のある大樹寺を拝めるよう、双方の想いをつないだラインなのです。当時から高い建物を町全体として建てない努力をして、町民が想いをつないで今に至ります。
家康が築いた江戸幕府は約260年間続きました。そんな太平の世を目指すきっかけにもなった大樹寺は、家康の想いが詰まった原点ともいえる場所かもしれませんね。直接訪れて、ぜひ肌で感じてみてくださいね。