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名古屋市千種区の住宅街に建つ「桃巌寺(とうがんじ)」。名古屋市で唯一の大きさを誇る名古屋大仏はじめ、セクシーなねむり弁天、そして日本一の大きさの木魚など、見どころいっぱいのお寺です。歴史もふまえ、どんなお寺なのかレポートします。
アクセスは?入口はどこから?
まず桃巌寺の入口ですが、正門は四ッ谷通り沿いにあります。電車だと、地下鉄東山線の「本山駅」から南方面・のぼり坂を約5分歩くと左手になります。
お車の場合は、正門の手前・左手に駐車場の看板が見えるので、そこに停めることができます。そしてこの駐車場の手前を左折して住宅街を進むと……
突如巨大な大仏の背面が!さらに進むと右手に車が3台程度停めることができる駐車場もあるので、こちらからもお寺に入ることもできます。大仏だけ見たい!という方は、直接大仏エリアに入ることができるので、こちらからがおすすめです。
さて、正門から入ると長い参道があり、その先に1つ目の門「清浄門」があります。春は新緑が鮮やかに、そして秋には紅葉が色づき、季節のうつろいを感じられる参道です。
そして清浄門をくぐると、車が行き交う都会の喧噪から、一気に静寂な空間に切り替わります。
織田信長の父・信秀の菩提寺として建立
さらに進むと、今度は朱色と白のコントラストが目を引く「不老門」が出迎えてくれます。この形状がまるで竜宮城を思わせることから「竜宮門」とも呼ばれています。
桃巌寺の歴史ですが、天文18年(1549年)に織田信長の父・信秀が末盛城で病死し、信長の弟である信行が城主になります。そして信行が父・信秀の菩提を弔う為に建てたのが桃巌寺。創建当初は香花(仏前に供える香と花)の道場でした。
その後、天台宗の僧・恵心僧都(えしんそうず)作の聖観世音菩薩をご本尊として祀り、弁財天の画像を守護神として祀ったのが、桃巌寺のはじまりとされています。
桃巌寺は正式には曹洞宗の「泉龍山 桃巌寺(せんりゅうざん とうがんじ)」といい、名前は信秀の法名である「桃巌道見大禅定門」にちなんだもの。
当初の建立地は、現在の名古屋市千種区穂波町付近でしたが、のちに松竹町に移転するも、たび重なる水害により、約350年前に現在の地に移転となりました。
そんな古い歴史を持つ桃巌寺は、現在のご住職で27代目となります。
その信秀のお墓がこちら。丸や四角の石を五段に乗せた五輪石塔は、以前は旧末盛城の西北にありましたが、昭和26年に現在の地に。不老門をくぐって左手にひっそり建っているので、よく見ないと見過ごしてしまいがち。墓前に立ち、戦乱の世から平和な時代に感謝しつつ合掌。
本堂にあがってみました
本堂には一般の人は誰でも自由にあがることができます。正面には、ご本尊の聖観世音菩薩がお祀りされています。
参拝が終わり、左に目線を落とすと何やら白い石が……。「祈願石」といって、この石にお願いごとと名前を書いて奉納(1,000円)することができます。
そして本堂の中でもひときわ存在感をあらわしているのが、こちらの巨大な木魚!樹齢約100年の楠の木でつくられた、直径約1メートルもある日本一の大きさの木魚です。
小さいお子さまでも触れるよう、親切に階段まで用意されています。
そしてこの木魚、片手を触れるだけで過去の悪行が消滅するということで、実際に触れてみると……いろんな人が触ってきたせいか、つるつるとした滑らかなさわり心地と、ひんやりした感触がクセになりそうでした。
そのほか、名古屋大仏の十分の一サイズのミニチュア大仏も展示。こちらは黄金色ですね。
お堂内から外を見た景色も、心安らぎます。