日本100名城のひとつでもある三重県伊賀市の「伊賀上野城」。
築城の名手とされた「藤堂高虎」による日本一とされる高石垣をはじめ、戦国時代から昭和初期にかけ、現在の天守閣ができるまでのエピソードなど、見どころとあわせてご紹介します。
目次
三人による三つの天守閣の歴史
筒井の天守
「伊賀上野城」は、伊賀鉄道・三重県「上野市駅」より徒歩約10分の場所に建つお城です。最初に上野城が築城されたのは、天正13年(1585年)に筒井定次(つついさだつぐ)によります。
豊臣家に仕えていた定次は、秀吉の大阪城を中心とした大規模な国替えで、当時住んでいた郡山(奈良)から伊賀の地に移ることになります。もともと平楽寺・薬師寺だった高台跡地だった場所に、上野城を築きます。
伊賀は豊臣の本拠地である大阪を守る重要な地、また、徳川家康率いる三河や関東に対して備える重要な拠点ということもあり、豊臣家に仕えていた定次が築いた天守閣は、東に向けられたものでした。
その後、関ヶ原の戦いでは定次は徳川家につきます。東軍が勝利したのち、伊賀の国を任されていましたが、家臣の離反や豊臣家と精通している疑い、そしてキリシタンである……などという理由で、慶長13年(1608年)に改易(領地を没収)、その後は切腹を命じられました。
藤堂の天守
その後家康が任命したのが、当時伊予の国にいた藤堂高虎(とうどうたかとら)です。
「渡り奉行」との名前がつくほど、主君を次々と変えていったにもかかわらず、家康の信任もあつく、築城の名手としても名高かった高虎は、定次が築いた城郭をそのまま残しつつ、西側を拡張して天守閣に着手しました。西を拡張したのは、定次とは逆に、今度は豊臣家のいる西をにらんでのことだったようです。
しかし残念ながらその天守閣は完成しませんでした。というのも、棟上(むねあげ)までは済んでいたようですが、慶長17年(1612年)の伊勢の暴風雨で倒壊し、そのまま天守閣が完成することはなかったようです。
この図は文献からあくまで想像して作られたもので、それによると層塔式の五重の天守を建てたと想像されています。
そしてその際に築かれたのが、大阪城とならび日本一の高さとも言われる高さ約30メートルの「高石垣」です。築城の名手とうたわれた高虎の手腕が誇る功績は、城跡・天守閣ともに、国の史跡名勝記念物、そして伊賀市有形文化財に指定されています。
川崎による天守
そして時は流れ、昭和10年に伊賀出身で代議士の「川崎克(かわさき かつ)」により3つめの天守閣が復興することになります。
文化人としても名高かった川崎は、私財をなげうって3つ目となる天守閣を復興させました。それが現在にも残る伊賀上野城です。
こうして三人による三つの天守閣は、当初は定次による大阪を守る城だったのに対し、2代目の高虎のときには大阪を攻める城にかわるという、相反する城を形成していきました。
そんな戦国時代から昭和にかけて、当時の武将のさまざまな思惑や時代に翻弄されながら、上野城は現在に至っています。
それでは早速天守閣の中に入ってみましょう!
いざ天守閣の中へ!
お城の南側の階段を上っていくと、受付があります。
窓口で入館料を支払い、天守閣入口まで進みます。
お城の入口までくると、まず目に飛び込んでくるのは、伊賀上野城のマスコットキャラクター「た伊賀ーくん」。2022年は寅年ということもあり、タイガーつながりですね。
その隣には、藤堂高虎像があります。高虎はこの上野城のほか、伊勢の津や江戸・大阪・篠山城など20城あまりの築城・修築を手がけました。
そして1階をぐるりと見回してみると、まず天井の高さと、木の造りが印象的です。再建された城で木造の天守閣を持つ城は非常に珍しいそうです。
1階
1階は天守閣を築いた3人の人物や昔の街並み、歴史年表などが主に展示されています。
そのほか、鎧(よろい)や兜(かぶと)などの武具なども……。
中でも見どころは、高虎が秀吉から授かったという「黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)」。
高虎は一族の藤堂義重(とうどうよししげ)に与え、大坂夏の陣でこれをかぶって戦ったものの戦死。代々藤堂家に重宝として保存されてきましたが、のちに上野市へ寄贈されたものだそうです。
こんな大きなかぶとをかぶって戦いに出るなんて、昔の武将はすごいですね!
そのほか、さまざまな伊賀焼の展示物も……。
よく見ると、あちこちに忍者もいるので、チェックしてみてくださいね!
2階
2階にあがると、木目の格子の天井が印象的です。
昭和に天守閣を復活させた川崎克や、彼に縁のあった人たちの紹介をはじめ、同じく伊賀出身の俳人・松尾芭蕉が使ったとされる展示などがあります。
有名な推理小説作家・江戸川乱歩も川崎克がかわいがっていたという弟子だそうです。
高虎が出陣した大坂の陣で使ったとされる鍋や、大食籠(だいじきろう)の展示も……。
西側の窓から見える伊賀の街並み。
3階
さらに3階へあがってみましょう。
3階は少し狭い空間ですが、ここの見どころは天井絵巻です。
1メートル四方の天井の格子に並べられた46枚の書画の色紙がズラリ。これらは天守閣が復興したことを祝って、画家や詩人・政治家などによって贈られたものだそう。
日本画家の横山大観(よこやまだいかん)の絵もあるので探してみてくださいね。
お城というと、通常は一人によって築かれる……というイメージですが、伊賀上野城は、筒井時代には東をにらむ城、藤堂時代には西をにらむ城、川崎克によって復活を遂げた城……と、三人によるそれぞれの想いによってできあがったお城です。
それぞれの立場や想いからながめると、さまざまな感慨深い思いになるかもしれませんね。