高級チョコレートの自由な楽しみ方を提案する「CHOCOLATERIE TAKASU」
目次
ゼロから始めたお菓子づくり
高校を卒業した後、18歳から洋菓子店で働きはじめた高須シェフ。
チョコレート界で最も権威のあるチョコレートの品評会C.C.C(Club des Croqueurs de Chocolat クラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラ)で最高位の金賞を受けるなど、国内外から評価されているショコラティエです。
– どのようなきっかけでお菓子づくりの道に進まれたのですか。
高須さん:「きっかけは、母でした。母の知り合いが働き口を紹介してくれるということで。もともと、机に座って勉強するのが好きではなかったこともあり、高校を出たら働くつもりでした。
でも、洋菓子店に入ったものの専門的な用語や知識を学んできていないわたしにとっては、わからないことだらけで。例えば、冷蔵庫からイチゴを取ってきて欲しいと頼まれるときは「フレーズとってきて」と言われるんですよ。輸入品だと日本語も書いていないケースが多く、違う食材を取っていっては、呆れられる始末でした。最後には、草むしり担当になっていました。
でも、それでよかった。「パティシエになりたい」という理想とかイメージがなかった分、純粋に働くことさえできていればよかった。
当時、専門学校を卒業した同期が3人いたのですが、みんな半年くらいで辞めてしまって。みんな辞めていなくなった後、厨房に戻ってシェフの手伝いをするようになりました。
リンゴの皮をむいたり、お菓子づくりの手伝いをしたり。やってみると意外とおもしろいということが分かって、それに、仕事をすること自体がわたしにとっては目的というか、傍から見て単調なことでも、わたしは辞めない。
そうして3年もやっていると、自分でお菓子がつくれるようになりました。」
– 洋菓子店で3年間働いた後に、東京へ行かれたんですね。
高須さん:「町のお菓子屋さんに置いてあるチョコレートは、既製品の状態でお店に到着したものを詰め替えて、販売しているケースがほとんどです。
フランス菓子の中では、チョコレートを使ったボンボンショコラやチョコレート工芸などは重要な位置づけなのに、日本の洋菓子店ではチョコレートに触れる機会がほとんどない。
当時、働いていた洋菓子店でもチョコレートは扱っていませんでした。そこで、チョコレート専門店のパイオニアである「テオブロマ」で働きたいと思い、雇って欲しいと電話をしました。
「明日からなら来ていいよ」という返事をもらいました。
オーナーは、あさってから一か月間ベネズエラに行く。面接するなら明日しか空いていないということでした。今は人が欲しいけど、ベネズエラから帰国後の4月には20名の新卒が入社を控えていて、先では雇えるか分からない、という主旨でした。
それから「テオブロマ」で働きはじめ、6年間弱勤めました。」
-すごいですね。一つ返事と言うか、そのやりとりで東京へ行かれたんですね。
高須さん:「朝早くから、夜遅くまで働いていました。休みの日もお店で練習をしたり、他のお店へいって研究したりで。もともと、親が共働きだったこともあり、遅くに家へ帰ってくることに抵抗がありませんでした。」
– 28歳でお店を辞められたんですよね?
高須さん:「粉アレルギーになってしまって、麺やパンも食べられないし、お菓子も触らない1年でした。1年ほどは、飲食店のレシピを書いたりしながら、フリーで活動していました。
その代わりというか、ずっとワインが好きだったこともあり、ソムリエの資格をとったのもこのときです。カカオとワインは似たところがあります。香りが複雑で変化する。同じ産地・発酵・醸造で、何も加えていないのに年によって違う。
例えば、イチゴを入れていないのに、イチゴの味がしたり。自然の力とは、素晴らしいものです。人の琴線に触れる何かがある。自然には、人間が淘汰することができない、力を持っています。
3カ月で資格をとるというスパルタな先生でした。短期間で、さまざまなことを学びました。今でも仲良くしていて、新しい出会いがあった1年でもあります。その後、縁があって名古屋の洋菓子店に3年務めたあと、自分のお店をオープンしました。」
– ショーウィンドーに並ぶ商品は高須シェフがすべて考えられているのですか。
高須さん:「買い付けから、加工まですべてやります。新しい商品を考えるときは、チョコレートになった時、どんな組み合わせが一番いいか考えながら、同じ板チョコを何カ月も食べ続けます。
雇われている時は、何か考えついてもシェフのチェックがあって、すべて採用されるわけではなかった。今は、自分がいいと思ったら、商品化まで止めるモノがない(笑)。頻繁に商品が入れ替わると、販売の方も大変なので、できるだけストックしておくようにしています。」
高須さん:「チョコレートは封を開けると味が変わるんですよね。それに、食べる側のコンディション次第で味の感じ方も変わる。そういった意味で、チョコレートの味そのものと、食べる側のシチュエーション両方を考えた商品づくりが大切だと感じています。
チョコレートについては、毎年カカオ豆の生産地にも行って、現地の人との交流を欠かしません。コロンビア、グアテマラ、ベトナム、台湾、インドネシアなど。どんなモノが欲しいかとか、発酵のテクニックを伝えに行くようにしています。
最終的には、日本のサプライヤーから製品になった状態で調達しますが、自分が欲しいものを手に入れるためには、まずは伝えなければはじまらない。それに、生育環境やどんな豆の種類があるのかとか、知識を増やしたり、アップデートし続けることも大切です。」
高須さん:「お菓子で人生を変えほどの感動を与えることはできないと思っています。例えば、結婚や出産など、もっと強い変化を与えるモノやコトってありますよね。
わたしに出来ることは、おいしいお菓子を精魂込めてつくること。生きているといろんなことがあります。わたしがつくるお菓子を食べて、ちょっと元気になれる。それがいいんじゃないでしょうか。
よく、「いつ店頭に立っていますか?」なんて聞かれるんですが、今でも、毎日厨房に立ってお菓子をつくっています。」
今後について
-今後はどのようにしていきたいですか?
高須さん:「一番の目標は、調達するチョコレートをすべてオリジナルにすることです。本当の意味で唯一無二の存在になることができると思います。そのためにも、豆からコントロールしていくことが必要です。
18歳でパリへ行った時、チョコレート屋に入りました。店内に入ってきた男性が、トリュフをひとつ注文して、ポンと口に放り込んで去って行きました。お店の人も、注文されたトリュフを男性の手のひらに置いたんです。すごくいいなと思いました。
このお店でもたまに、フランス人が入ってきて同じようなことをするんですが、圧倒的に日本人の感覚とは差がある。
年間パスを販売していることもあり、日本人でも週2-3人はやっていく人がいますが、これが20-30人に増えると、チョコレートの楽しみ方が広まって行きますよね。
ハードルを下げるというか、自由な楽しみ方があってもいいんじゃないかと思うんです。」
今回の取材を通し、働くことに真摯な姿勢で挑み続ける高須シェフの考え方におどろきっぱなしでした。
お話の中で「やりたいことが決まっているのだったら、学校を卒業することよりも、早く勤めてみればいい」という言葉がありました。
「輝かしいコンクールでの表彰は見えている一番いい所。トイレ掃除も仕事のうち。次にやることを自分で考えて、お客様が望むものをつくってお金をもらう。」
「○○になりたい」「○○で成功してやる」という、一般的に「夢」と呼ぶものがなくても、一流の忍耐と探求心があれば、自分でで切り開いていける。そんなエールをもらったような気がして、晴れやかな気持ちになりました。
高須シェフ、ありがとうございました!