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「SOUKI(ソウキ)」があるのは、くつ下の生産量日本一を誇る奈良県広陵町。豊かな自然や歴史、文化の残る町です。「品質がいいのはあたりまえ、日々の生活のなかで本当に良いと感じてもらえるくつ下を追求したい」というものづくりに対する想いのもと、1927年の創業以来、SOUKIはこの町で、昔ながらの製法を守りながら国産くつ下をつくり続けています。
また、こだわりのオリジナルくつ下をはじめ、2018年からは、くつ下を自転車でつくるワークショップ「チャリックス」を通して広陵町のものづくりを知ってもらう活動をされています。
先代から受け継がれきた技術を守っていく
工場で稼働している機械は、古いものですと、50年以上も前の機械を使用しています。多くのくつ下メーカーがデジタル化された機械を導入している中で、先代から受け継いだ機械を丁寧にメンテナンスしながら使い続けています。
SOUKIのつくるくつ下は、PCで簡単に作業できる機械とはまったく異なります。つくりたいくつ下に合わせて機械のプログラミングを変え、部品を組み替えていきます。気温や湿度によって糸の状態が変化するため、糸の知識や特性も把握しなければなりません。
糸にこだわり、織り方にこだわり、素材から仕上げまでそれぞれに適した製法で一つひとつ丁寧につくりあげています。
くつ下のまち広陵町
今回お話をしてくださった出張耕平社長。
−はじめに広陵町の歴史、SOUKIの経歴をお伺いしました。
出張社長:「SOUKIが創業したのは、今から約90年前、1927年です。もともとは曽祖父の代までは農家だったのですが、冬場の副業として、くつ下づくりをはじめたのが最初のきっかけだったんです。
くつ下産業がこの地に根付いたのは、明治時代頃だと言われています。吉井さんという地主さんが、米国視察に行き、くつ下の機械を持ち帰ってきたことで、靴下づくりが広陵町全体へ広がっていきました。また、この辺では昔から「大和木綿」や「大和絣」などの綿織物の産地でもあったことから、広陵町はくつ下製造の一大産地として盛り上がっていったという経緯があります。」
高度成長期、そして産業の衰退
現在で工場で機械を働いているのは、出張社長、お父様でもある会長、職人さんの3名で稼働されています。
出張社長:「副業としてくつ下をつくっていた曽祖父の代から、祖父が商売として工場を建てたのが戦後です。高度経済成長とともに、産業は発展していきました。父の代になると、大手の下請けとして稼働していましたが、海外からどんどん安価なくつ下が入ってくることで、最盛期には200軒ほどあった工場も、現在の40軒ほどまで減ってしまったんです。」