目次
愛知県犬山市にある「博物館 明治村」。明治時代の建築をメインに、大正時代や昭和初期までの名建築が移築・保存されている野外博物館です。東海エリアの方は家族とのお出かけや社会科見学などで一度は訪れたことがある方も多いのではないでしょうか。
明治村の創設は、「取り壊しの運命にあった近代建築をなんとか救いたい」という想いからはじまりました。帝国ホテルも、夏目漱石の家も、この施設がなければ取り壊される運命でした。移築する際は、ひとつひとつていねいに解体をし、部材には番号をつけて運び、立て直しをしています。それほど、明治村は貴重な明治の建物を後世に伝えている場所なのです。そんな明治村を一周しながら、歴史的な建築を学んでいきましょう。名建築は家づくりやインテリアのヒントもたくさんです。
明治村は、1丁目〜5丁目の5つのエリアに分かれています。フランク・ロイド・ライトによって設計された「帝国ホテル中央玄関」のある5丁目からご紹介していきます。
日本で3番目の広さを持つ野外テーマパーク
「博物館明治村」とは
日本で初めて開通した市内電車「京都市電」。明治時代ののりもので園内を移動することができます。
はじめに「博物館明治村」について少しだけご紹介していきます。
明治村では、入鹿池に面した風景の美しい100万平方メートルの丘陵地に、国の重要文化財に指定された11件を含む67件の建造物を展示しています。その敷地面積は広大で、日本で3番目の広さを持つ野外テーマパークです。ドラマや映画などのロケでも多く使われ、まるで明治時代へタイムトリップしたかのような風景が広がります。
明治時代は鎖国が解かれ、世界の文化を取り入れ、あらゆる面で近代化の基盤となった重要な時代です。従って明治建築も江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れられました。
石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築きました。
フランク・ロイド・ライト設計の名建築
「帝国ホテル中央玄関」
モチーフは平等院鳳凰堂。日本的な石である大谷石を多用しています。
帝国ホテルは、20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、1923年(大正12年)に4年間の大工事の後に完成しました。皇居を正面に建てられた帝国ホテルは、総面積34,000㎡余の大建築。中心軸上に玄関・大食堂・劇場などの公共部分が集められ、左右に客室棟が配置されていました。
建材へのこだわり
エントランスは、スクラッチレンガとテラコッタタイルで仕上げられています。スクラッチレンガは手作業で一つひとつ筋がつけられています。
エントランスのドア部分。窓や建具に使われている色ガラスは、金箔を2枚のガラスで挟んでつくられています。
建物内外は、彫刻された大谷石、透しテラコッタによって装飾されています。フランク・ロイド・ライトは、建物に使用する石材から木材の選定にいたるまで自らで管理しました。
例えば、「テラコッタ」「スクラッチレンガ」「クリンカータイル」などは、当時の日本ではほとんどつくっていませんでした。そのため、帝国ホテル専用の「帝国ホテル煉瓦製作所」を愛知県常滑に設立するほどのこだわり。この製作所はのちに「製陶株式会社(株式会社INAXを経て現 株式会社LIXIL)となります。
吹き抜けが圧巻の中央ロビー
エントランスを入ると、3階まで吹き抜けになった中央ロビーが広がります。ここを基点に両脇にラウンジ、客室棟が続いていました。それぞれの空間は、床と天井の高さが異なります。大階段、左右の廻り階段をのぼる度に、違った景色が楽しめるようになっています。
階をあがるごとに景色が変化する楽しさは、ぜひ実際に体感していただきたいです。
吹き抜けをつらぬく「光の籠柱(かごばしら)」。幾何学模様が彫刻された大谷石、テラコッタ、スクラッチレンガが重なりあいます。
家具や照明まで総合的にデザイン
ライト設計の椅子。六角形の背、傾斜をもつ三本の背受け、座と脚の接合部分に三角形のサポート材。それらが幾何学的に組み合わされています。
フランク・ロイド・ライトは、家具や照明・インテリアアクセサリー・食器にいたるまで総合的にデザインしました。「家具の形状は、全体の中で意図され、かつ楽しまなければいけない。」という彼の言葉の通り、空間全体に馴染み、機能性だけでなく、表情・感情のある家具を提唱しています。
照明の細工は、銅板を一枚づつ職人がカットして仕上げました。
ライトデザインの食器を復刻してつくったもの。復刻デザインの食器は実際に購入することも可能です。
帝国ホテル中央玄関は、建物全体の迫力や開放感はもちろんですが、細部のデザインのこだわりが非常に素晴らしい空間でした。タイルの取り入れ方、家具や照明のデザインなど、ぜひ細部までじっくりと見ていただきたい建物です。
建物の中には喫茶室も入っているので、ゆっくりとお茶を楽しむのもおすすめですよ。
【帝国ホテル中央玄関】
旧所在地:東京都千代田区内幸町
建設年代:1923年(大正12年)
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-67.html<定時ガイド(約20分)>
10:10、11:30、13:00、14:20
入口付近の集合場所よりスタートするガイドです。
自然光を最大限に活かした天窓が特徴
「高田小熊写真館」
続いてご紹介するのは、豪雪で知られる新潟県高田市から移設した「高田小熊写真館」です。
この建物は、明治の末期に建てられた洋風木造二階建の写真館です。階下には応接間、暗室のほか作業室兼用の居室があり、2階に写場(スタジオ)が設けられています。
雪国なので屋根の勾配が強く、2階のスタジオの採光に配慮して北側の屋根に大きく明かり採り窓があるのが特徴。一般的に、光を取り入れるには「南向きが良い」と言われていますが、時間帯によっては直射日光が入り撮影がしづらくなってしまします。実は、北側の窓というのは安定した光を取り込むことができるんです。自然光を最大限取り込めるよう考えられた設計です。
自然光がたっぷり入る写場(スタジオ)
当時は人工照明がない時代だったので、写場を設営するにあたり最も苦労したのは、外光を写場にいかに効果的に取り入れるかということでした。そのため、屋根・カーテン・反射板等にさまざまな工夫が凝らされました。
この写真館でも北側の屋根を全面ガラス貼りにし、自然光を取り入れています。カーテン(独特の白黒天幕)の開閉によって、光量の調整が可能です。
ペンキの独特なカラーリングが印象的。光を優しく反射してくれています。
撮影用の椅子。写真師は写真館の外観とともに、高価な舶来の小道具を購入する等、その豪華さを競い合ったそう。
細かな木部の装飾
明治時代における写真術は、高度な理化学の知識と長年月の修練を必要とし、誰にでも簡単にできるというものではありませんでした。そのため写真師は文明開化の花形職業として、高い収入と大きな名声を得ていました。そうした気品の高さが建物の細部にも感じられます。撮影小道具としても使われていたようです
左)2階へ続く階段。曲線の加工が美しいです。
右)ステンドグラスの向こう側には、撮影準備をする化粧直しの場。
階段の吹き抜け部分の柵。こうした細部にも装飾が施されています。
天窓からの光の取り入れ方はとても参考になるポイントです。つい窓は南側にしなくてはいけないという固定観念がありますが、この写真館のように場合によっては北側の方が適している場合もあります。
【高田小熊写真館】
旧所在地:新潟県上越市本町
設年代:明治41年(1908)頃
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-65.html
<無料建物ガイド(約15分)>
11:00、11:30、13:00、13:30、14:00、※14:30(※土日祝のみ)
ステンドグラスが美しいゴシック建築
「聖ザビエル天主堂」
聖ザビエル天主堂は、近世初頭の日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、1890年(明治23年)に京都河原町に建築されたカトリック教会堂です。フランス人ビリオン神父の監督の下、日本人の手でつくられました。
構造はレンガ造と木造が併用されています。外壁をレンガ造りで築き、内部は木造で組み上げ、内外の壁は漆喰で仕上げられています。
典型的なゴシック様式
この建物は、ゴシック教会建築が最も繁栄した13世紀中期の「フランスゴシック教会堂」の形式に従ってつくられました。
ゴシック様式の特徴は、2つの円弧を組み合わせて頂部をとがらせた「尖頭アーチ」が多様されています。また、天井に「リブ・ヴォールト」が用いられています。中央部が盛り上がるように積んで崩れ落ちないようにした形状を「ヴォールト」と呼び、「リヴ」はアーチ状の筋を指します。柱やリブ等、天井板を除く全ての木造部分は欅(ケヤキ)でつくられています。
美しい陰影を見せるステンドグラス
外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、色ガラスに白色塗料で草花模様を描いたもので、外に透明ガラスを重ねて保護されています。ほぼ全てのガラスが赤・青・緑・黄といった原色で構成されています。
薔薇窓(ローズ・ウィンドー)は、ゴシック様式の教会堂建築における大きな特色のひとつ。
側面のステンドグラス
祭壇のステンドグラス
【聖ザビエル天主堂】
旧所在地:京都市中京区河原町三條
建設年代:明治23年(1890)
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-51.html
ここからは5丁目にある建物をダイジェストでご紹介していきます。
現在の外壁の構造の実例にもなった
「金沢監獄中央看守所・監房」
金沢監獄は外周約900m、レンガ塀の中に大小約30棟の建物がありました。この監獄舎の建て方は洋式5方放射式で、八角形の中央看守所を中心に、左右、斜め後方、真後ろに計5棟の監房が建てられていました。
この建物で興味深いポイントは外壁です。下見板、荒板、木摺漆喰塗内壁の三重壁になっており、内外が厳重に区画されています。このような壁体は、優れた防音・防熱の効果を持ち、その建築性能は高く、近代の防音、断熱の先駆的な実例といえます。
【金沢監獄中央看守所・監房】
旧所在地:石川県金沢市小立野
建設年代:1907年(明治40年)
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-62.html
レンガ造りの美しい門「金沢監獄正門」
金沢監獄の正門も同じ5丁目内に移設されています。
金沢監獄は、南北250m、東西190mの敷地はレンガ造の高い塀で囲われ、唯一西面に開けられていたのがこの正門。レンガ造に石の帯状装飾を入れるのは当時の洋風建築の流行だったようです。
【金沢監獄正門】
旧所在地:石川県金沢市小立野
建設年代:1907年(明治40年)構造 :鉄筋コンクリート造http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-52.html
明治政府の中央図書館「内閣文庫」
内閣文庫は、1873年(明治6年)太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館です。明治23年に内閣文庫と改称され、1971年(昭和46年)国立公文書館が設立されるまで、内外の古文書研究家に広く利用されました。
本格的なルネッサンス様式のデザインで、明治のレンガ・石造建築の教科書的作品です。特に正面中央には高さ7m余の4本の円柱と2本の隅角柱が並び、巨大なぺディメント(切妻屋根の妻壁にできる三角形の部分)を受ける姿は、古代ギリシャ・ローマの新殿建築のようです。
【内閣文庫】
旧所在地:東京都千代田区千代田
建設年代:1911年(明治44年)
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-59.html
大正初期の代表的な交番
「東京駅警備巡査派出所」
東京駅丸の内側南口駅前広場に建設された派出所。辰野金吾が設計した東京駅本屋との調和をはかるため、駅本屋のデザインを十二分に意識した設計となっています。レンガ積ではなく鉄筋コンクリートの躯体に化粧レンガを張る工法は、当時日本で行われはじめた新しい工法でした。
首府東京の表玄関であった東京駅では、天皇の地方巡幸や外国使節の従来など重要行事が多く、一時は12人もの巡査が詰めていたといいます。
【東京駅警備巡査派出所】
旧所在地:東京都千代田区丸の内
建設年代:1914年(大正3年)頃http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-60.html
5丁目エリアにはその他にも、「川崎銀行本店」「菊の世酒蔵」「名鉄岩倉変電所」などがあり、比較的大きな建物が多いエリアとなっています。その中でも、冒頭でご紹介した「帝国ホテル中央玄関」「高田小熊写真館」は内部のインテリアもしっかりとつくり込まれているので、ぜひ足を運んでいただきたい建物です。