博物館 明治村を徹底レポート!明治・大正の建築を楽しく学ぼう!
目次
明治期木造洋風建築の特色が色濃い
「千早赤阪小学校講堂」
1階が雨天体操場、2階が講堂となっているこの建物は、もとは大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にありましたが、1929年(昭和4年)同校の校舎が新築される際に、南河内郡千早赤阪村の小学校に移築されたものです。木造二階建桟瓦葺寄棟造で、1階は櫛形アーチのアーケードをめぐらせています。棟飾やせいの高い軒蛇腹など、明治期木造洋風建築の特色ある意匠を示す建物です。
【千早赤阪小学校講堂】
旧所在地:大阪府南河内郡千早赤阪府
建設年代:1897年(明治30年)頃
実際に文明開化の象徴「牛鍋」を楽しめる
「大井牛肉店」
横浜・長崎につぎ、1867年(慶応3年)に開港した神戸に、牛肉販売と牛鍋の店として建てたられた建物です。外国の商館が立ち並ぶ新しい町、その街中の商店にふさわしく、洋風の建物で、正面を華やかに飾っています。洋風のデザインですが、日本古来の技法が用いられ、木造に白漆喰を塗って柱や窓廻りを仕上げています。
実際に、文明開化の象徴「牛鍋」を楽しめる牛鍋屋として営業しています。ぜひ明治の味を楽しんでみてはいかがでしょうか。
【大井牛肉店】
旧所在地:神戸市生田区元町
建設年代:1887年(明治20年)頃
文明開化の影響を受け、和洋が混在した
「学習院長官舎」
文明開化の名のもと、さまざまな場で洋風化が進められていきました。しかし、私的な生活の場である住宅においては、完全には様式とは成り得ず、和洋の混在する形式が生まれました。
こちらの学習院長官舎も洋館と和館とをつなぎ合わせた形式の建物です。学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷が用いられました。階段室を中心に、手前に洋館、奥に和館を接続させており、この階段室を通って、洋館と和館の間を行き来できるようになっています。
【学習院長官舎】
旧所在地:東京都豊島区目白
建設年代:1909年(明治42年)
和の中に洋があしらわれたデザイン
「芝川又右衛門邸」
芝川又右衛門邸は、大阪の商人・芝川又右衛門の別荘として建てられたものです。後に京都帝国大学建築学科の創設者となる武田五一氏によって設計されました。武田氏は、日本で初めてアール・ヌーボー様式を取り入れた住宅を設計した人物です。その後、芝川氏の依頼から、ヨーロッパのグラスゴー派やウィーンのゼツェッションと、日本建築の伝統とを融合したこの洋館を建てました。
1階ホールは土壁に市松模様の天井、2階の座敷には暖炉が設けられるなど、建物全体として和の中に洋があしらわれたデザインになっています。
【芝川又右衛門邸】
旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目
建設年代:1911年(明治44年)
2丁目には、明治時代風ドレスや矢絣・袴姿に着がえて、記念撮影を楽しめる「ハイカラ衣装館」もありますよ。
いかがでしたでしょうか。建てられた経緯、時代の背景、構造や素材を知った上で建物をみると、新たな発見があるかと思います。ぜひ気になった建物は、実際に足を運んでみてくださいね。
一つひとつ丁寧に移築された名建築の数々からは、さまざまな建築やインテリアの知識を学ぶことができます。明治村で本物の建築巡りをしてみてはいかがでしょうか。