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疫病除けの神様を祀る愛知県津島市の津島神社では、毎日新型コロナウイルスの平癒祈願を行っており、悪疫退散の御札や御守を求めて多くの人が参拝に訪れています。
津島神社の歴史
津島神社が創建されたのは、今から約1500年前の欽明天皇元年(540年)。ご祭神である建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)がこの地に鎮まったのがはじまりとされています。当初は「津島社」と呼ばれていましたが、奈良時代に仏教が伝わり、古来の日本の神様は仏の分身という「神仏習合」の考えにより、「津島牛頭天王社」と改められました。明治の神仏分離により、「津島神社」と改称されましたが、現在も「津島の天王さま」と親しまれ、全国約3,000社の天王信仰の総本社です。
蘇民将来の逸話によると、須佐之男命が旅の途中、宿を求め二人の兄弟のもとを訪れたとき、裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなしました。その報いとして「茅の輪をつければ、疫病を除くことができる」と教えたことで、蘇民将来の一族は災い・疫病を避けることができました。以来、須佐之男命は、疫病・厄除けの神様として古くから信仰されています。
また戦国時代には、織田信長・豊臣秀吉・徳川家の厚い信仰を集め、楼門など多くの寄進を受けています。
夏の天王祭は600年の伝統
津島神社では、年間を通してさまざまな祭典が催されていますが、一番大きなお祭りは、夏の尾張津島天王祭です。日本三大川祭のひとつとして知られ、厄除け封じのお祭りとして600年の歴史を持ちます。
400ほどの提灯を灯した舟が天王川を漕ぎ渡る幻想的な「宵祭」は、織田信長や豊臣秀吉も見学したといわれます。
宵祭が終わると今度は能人形に飾りかえる「朝祭」は、提灯舟とはまた違った優美な雰囲気です。多くの人々に親しまれている天王祭は、2016年ユネスコ文化遺産に登録されています。
今年は、新型コロナウイルスの影響により、舟祭行事は中止となりましたが、疫病退散を願う神事は関係者のみで無事執り行われたそうです。
歴史ある境内を紹介
津島神社は、名鉄津島線・尾西線「津島駅」から徒歩15分。車でしたら東名阪自動車道「弥富IC」より車で15分の場所にあります。駐車場は南門と東門にあり、合せて100台完備していますよ。
津島駅からまっすぐ歩くと、朱色の鳥居とその先には立派な楼門が目に入り、遠くからでもよくわかる存在感。一礼してから門をくぐります。
右手にある手水舎で手と口を清めます。
楼門は、天正19年(1591年)に豊臣秀吉が寄進されたもので、国の重要文化財でもあります。
こちらの拝殿で二拝二拍手一拝しましたよ。拝殿の奥に本殿がありますが、一般の方は立ち入ることができません。国の重要文化財に指定されている本殿は、徳川家康の四男松平忠吉の妻女によって寄進されました。
1万坪の広い境内には本殿を含めて摂社・末社が37社あり、「無病息災」「夫婦円満」「商売繁盛」と、さまざまな神様が祀られています。
弥五郎殿社は、津島神社社地の地主神で姓祖武内宿祢を祀っています。
赤い鳥居が連なる稲荷社。商売繁盛と家内安全にご利益があるとされています。
拝殿から祭文殿・本殿へつなぐ回廊。津島神社の社紋は「木瓜紋(もっこうもん)」といい、織田家の家紋と同じものです。ぜひ注目してみてくださいね。