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名古屋を代表する商店街で知られる大須商店街。その一角にひときわ目を引く華やかなエントランスの「万松寺」。通りすがりに見かけたことがある人も多いと思いますが、中までは入りづらい印象があるかもしれません。
今回はそんな万松寺の普段表では見えない、本堂や境内の紹介をはじめ、今を生きるヒントがいっぱいの各種講座など、さまざまな姿や取り組みをご紹介します。
万松寺の歴史
正式名称は「亀岳林 万松寺(きがくりん ばんしょうじ)」です。
創建は1540年までさかのぼり、織田信長の父である信秀が織田家の菩提寺として建立しました。
もともとは現在の名古屋城の南側、丸の内2丁目・3丁目あたりに構えていましたが、信秀没後の1610年に、家康の命で現在の地に移転。釘を使っていない建物は本尊とともにそのまま移築されました。
山号の「亀岳林」の名前の由来は、信秀が当時住んでいた名古屋城の北側の林から亀が這い出てくる夢をよく見たと伝えられており、その夢にちなんでつけられたそう。
家康政権後は、尾張徳川家初代藩主の義直(よしなお)の正室・春姫の菩提寺となりました。なぜ織田家の菩提寺から徳川家の菩提寺に変わったのか……その理由は、家康が信長を恐れたため、織田という名前を使いたくなかったことからだったようです。
そのため当初は徳川家の家紋「三つ葉葵紋」のみが掲げられたと想像されていますが、現在は織田家の家紋「木瓜紋」と2つ並べられているのが特徴的ですね。
境内のご紹介
身代不動明王を祀る「不動堂」
商店街から入ってすぐ正面の場所にあるのがこちらの「不動堂」。「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう」という不動明王をお祀りしています。
なぜ ”身代” なのか……それは信長が現在の福井県の朝倉家の領地へ攻め入った帰り道、不意打ちに鉄砲で狙撃された際、胸にしのばせておいた、万松寺の和尚からもらい受けていた干し餅 にあたったことで命拾いしたというエピソードがあります。
信長は日頃信仰している万松寺の不動明王のご加護のおかげだと感謝しました。信長没後にその話を加藤清正が聞き、「身代不動明王」と名付けたそうです。
商売繁盛のお稲荷さまを祀る「稲荷堂」
さきほどの不動堂の隣にあるのが「稲荷堂」です。
「白雪稲荷」というお稲荷さまを祀っていますが、白雪ってちょっと珍しい名前ですよね。
ここはもともと信長の家臣の牧(まき)家がもつ小林城というお城でしたが、当時その牧家が信仰していた千代保稲荷神社を分霊したお稲荷さまが白雪稲荷で、その山に白いキツネが住んでいたことから由来するようです。
十一面観世音菩薩を祀る「本堂」
さきほどの不動堂や稲荷堂の建物から奥まった場所にあるのが本堂です。昭和20年の名古屋大空襲により焼失しましたが、戦後まずさきほどの稲荷堂・不動堂を新築、その後遅れて平成6年に本堂が完成しました。
本堂の本尊は「十一面観世音菩薩」です。本来の顔以外に11の顔を頭部にもつ観世音菩薩の変化身で全方位を見守り、すべての衆生六道に生きるものを救うとされています。観音さまの前に立つと、心おだやかな気持ちになれます。
定期的に上演される信長の「からくり人形『信長』」
また、この本堂で定期的に上演されるのが「からくり人形『信長』」です。信長といえば、うつけ者として知られていましたが、その名前が広く知られるようになったエピソードが
このからくり人形で再現されています。
※からくり人形師・八代目玉屋庄兵衛氏によって制作されたものです。
<上演時間>
10時/12時/14時/16時/18時 (行事等の都合により上演が中止にある場合があります)
春姫の守護仏「御深井観音」
そのほか、本堂の横にひっそり佇むのは、冒頭でも説明した尾張徳川の初代藩主の正室・春姫の守護仏の「御深井観音(おふけかんのん)」。恋愛成就・良縁・安産祈願などに御利益があるとされています。
願いは叶う?「重軽地蔵」
その手前にあるのが「重軽地蔵(おもかるじぞう)」。地蔵菩薩は人々を苦悩から救ってくれる仏様として信仰されてきましたが、中でも重軽地蔵は人々の願いが成就するかどうか教えてくれるといわれてきたそう。
実際ここでも願いが叶うかどうかチャレンジできます。まずはどちらかのお地蔵さまを持ち上げ、そのあと願いを込めてお参りし、そのあと再度持ち上げます。そのときに軽ければ、その願いは叶うといわれているそうですよ。持ち上げる際は木の格子の間から手をいれて持ち上げてくださいね。