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鈴鹿市の「和洋菓子キクノヤ」でおじいちゃんと和菓子づくりをしながら、田舎でコツコツとデザイナー活動をしている小林ちふみです。三重の素敵をより多くの人に知ってもらいたい!という思いで、記事を書いています。
今回は、菰野町「湯の山」の土地でカフェを営む「淵ト瀬(フチトセ)」さんのお話です。「カフェコブ」として11年間湯の山に関わりながらカフェを営んだ後に、移店して2019年6月にオープンしました。
私は三重の素敵を見つけるたびに心が踊ってしまうのですが、淵ト瀬のオーナー近藤さんも湯の山に心を躍らせた人でした。
日本人としての憧れが、湯の山の風景にある
「湯の山」は湯の山温泉と呼ばれるだけあって、温泉旅館が立ち並ぶ観光名所です。ロープウェイも有名な御在所岳のふもとに位置し、山や川などの大自然が広がっています。
そんなロケーションを最大に生かした「淵ト瀬」さんは、川床造りの廃旅館を改装した風情あふれる店構え。
オーナーの近藤さんは、ご夫婦でカフェを営業しています。この「湯の山」の土地に対して強い情熱を持っているようですが、その思いはどこから来ているのでしょうか?
近藤さん:「自分は小さいころから湯の山の近辺で暮らしてきましたが、湯の山の土地に強く興味を持ったことはありませんでした。湯の山のイメージというと、観光地としての賑わいのピークは過ぎた温泉街という認識で。
特に関心を持つこともなく長い月日は流れて、自分に子供が生まれてから湯の山をドライブしたことがあったんです。その時の湯の山は紅葉の時期で、山が鮮やかに色付いていました。それが驚くほどに美しくて……。」
なるほど。大自然に惹かれたんでしょうか。
近藤さん:「自然ももちろんですが、そこにある建造物を含めた風景に魅了されました。現在の湯の山には廃旅館がたくさんあって、昭和の日本にタイムスリップしたかのような、ここだけ時代が止まったままだったんじゃないかという景観が残されているんです。
この湯の山の風景をこのまま放置してしまうのは、あまりにももったいない!と感じたのが湯の山でカフェをはじめたきっかけでした。」
古き町並みが大自然と共存する湯の山の姿に、昭和の原風景を感じた近藤さん。それが15年前のことで、そこからは湯の山での活動を積極的に進めていきます。
そこまで湯の山の景観に惹かれたのには、何か理由があるのでしょうか?
日本と西洋がミックスした昭和初期の文化
近藤さんは小さいころから着物や時代劇が好きで、今でも日本の伝統文化や古いものに心惹かれるそうです。「特に好きなのは、昭和初期です。」そう熱く語る姿は、まるで戦前文化オタク。聞けば聞くほど昭和初期への思いが広がる近藤さんに、私も釘付けになりました。
近藤さん:「明治維新によって急速に取り入れられた西洋文化は、まず裕福な人たちに広がり、それが年月を経るごとに庶民にまで浸透していきました。日本文化と西洋文化が混ざることで、現代につながる新たな日本の形が確立しはじめたのが昭和初期だと個人的には考えています。
その和洋が折り混ざった昭和初期の時代背景や、その時代につくられたもの、その文化自体にとても惹かれてしまうんです。」
昭和初期への強い思いを持った近藤さんが湯の山に出会い、その空気に引き込まれたのは必然的だったように思います。我が「和洋菓子キクノヤ」もまさに昭和初期に創業されたお菓子屋なので、他人事ではありません。いいですよね、昭和の渋さ。