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健康はもとより、美容食としても人気の「八丁味噌」。江戸時代より伝統の製法で味と技を守りながら、現在も脈々と受け継がれています。その伝統の技法を受け継いでいる蔵は、愛知県岡崎市八帖町にあるわずか2社のみ。
今回はそのうちの1社「まるや八丁味噌」の歴史から味噌造り、社長の想いなどを蔵見学とともにご紹介します。
延元二年(1337年)創業
「まるや八丁味噌」
「まるや八丁味噌」の創業は延元二年(1337年)と古く、創業者である大田弥治右エ門(おおた やじえもん)が当初は醸造業としてはじめ、江戸時代から本格的に味噌造りをスタート。
徳川家康が生誕した岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の場所にある八丁村(現八帖町)の地名から八丁味噌と呼ばれるようになりました。
白壁造りの本社前の道路は、かつて旧東海道、いわゆる東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の街道で、ここ岡崎も三十八番目の宿場町として栄えました。
本社建物は景観重要建造物として、岡崎市に登録されています。また、平成18年放送のNHKの朝ドラ「純情きらり」のロケ地でも注目を集めました。
八丁味噌の原料は?どうやってできるの?
八丁味噌の原料は大豆と塩と水のみ。「まるや八丁味噌」で使っている大豆は国産の「フクユタカ」、有機大豆、そして海外からの輸入大豆の 3 種類です。
タネ・麹造り
ここからはいよいよ八丁味噌のつくり方です。まずは大豆の選別から。丸く粒の揃った大豆を選びます。選別した大豆を洗浄したら水に浸たす「浸漬(しんせき)」という工程に入ります。
実はこの「浸漬」という工程、味噌の製品の善し悪しを8割方決める重要な工程になります。大豆を水につける時間が味噌の仕上がりを大きく左右するので、分刻みで管理。5分違うだけで命取りになります。
その後、大豆をほどよい固さと飴色に蒸しあげて(蒸煮)、こぶし大のみそ玉にします。(製玉)。そしてこの大きさもポイント。このみそ玉に蔵に住み着く乳酸菌が入り込むことで、ほどよい酸味を醸し出します。
そしてその味噌玉の表面に、熟成に欠かせない大豆の麹菌がまぶされ、4日間ほど置くと真っ白い麹菌に覆われて仕上がります(製麹)。これに代々伝わる配合で塩と水を加えて、
木桶に投入。いよいよ八丁味噌の仕込みに入ります。
石積みによる仕上げ
杉の木桶の大きさは幅、高さ約2メートル。この中に6トンもの味噌が入ります。
その上を職人が足で踏み固めて空気を抜き、石積みの土台をつくっていきます。長年の足裏の感覚で水分が抜ける感触もわかるとか。また現役最古の木桶は1864年製!平均使用は100年で、ひとつの桶で4人家族が毎日1杯ずつ飲んでも、250年分以上の量になるそうですよ。
そして味噌を木桶いっぱいに入れたら「石積み」という、最後の工程に入ります。
この「石積み」、八丁味噌の象徴的な製造法ですが、そもそもなぜ石を積むのか?
八丁味噌は水分が少ないのが特徴ですが、味噌が出来るギリギリの水分で仕込むため、時間とともに桶の上部は乾いてしまいます。そこで石の重みで桶の下部から上部まで水分を循環させます。
そしてこの石積みも職人さんがひとつひとつ、3時間以上かけて、きれいな円錐状に積んでいきます。その数大小あわせて約500コで、重さにして約3トン!
石を積み終わったらあとは、そのまま「二夏二冬(ふたなつふたふゆ)」寝かせ、しっかり熟成させたら八丁味噌の完成です。