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あなたの子どもの頃の夢はなんですか?お医者さん・花屋さん・先生・アーティスト……。誰しもが一度は描く子どもの頃の夢。
今回ご紹介する愛知県出身のAnya(あにゃ)さんも、そんな子どもの頃の夢を叶えた一人。小学5年生の頃から孤児院を建てることを夢みてきた彼女は、2019年1月から国際協力NGO Anya’sの代表として活動されています。2019年10月にはフィリピンのセブ島に寺子屋「Anya’s HOME」を開校し、校長として奮闘中。
現地からリモート取材にて、寺子屋立ち上げまでの道のりやセブ島の現状など、たっぷりとお話を伺いました。
夢のきっかけは
小学5年生のときに見たテレビ番組
– はじめに、孤児院を建てようと思ったきっかけを教えてください。
Anyaさん:「小学5年生のとき、自分でトピックを決めて研究する「調べ学習」という授業がありました。でも私は興味関心が全くなく、将来の夢はギャルになることくらいで、トピックがなかなか決まりませんでした。
そんな中、『世界がもし100人の村だったら』というテレビ番組を観たんです。自分と同じくらいの年齢の子がでるかでないかわからない砂金を1日中探したり、ゴミ山から食べ物を探し続ける姿が紹介されていました。そんな過酷な状況の中、一日の食事はスープだけ。学校に行きたくても行けない。かなり衝撃的でショックを受けましたね……。。
当時の私は学校も嫌い、給食も好きなものしか食べない。今まで自分がわがままって言われる理由がわからなかったけれど、その理由が番組を観たことでようやくわかりました。
こうして私は「世界の貧困問題」をトピックに選び、小学5年生から中学3年生の5年間調べ続けました。そして、私は孤児院を建てることを強く心に決めたんです。当時は子どもなのでできることは限られていましたが、街頭で募金活動をしたり、赤十字やユニセフに支援金を送ったり、自分の着なくなった服を自分で調べて送ったり。そんなことを小学5年生からつい最近まで続けていましたね。」
17歳、語学留学でセブ島へ
– 数ある国の中でも、なぜフィリピンのセブ島を選ばれたのですか?
Anyaさん:「きっかけは17歳のときに行った語学留学です。当時の私は発展途上国に行くのも初めてで、「イェ~イ!リゾート地だ!」とバケーション感覚でした(笑)でも空港に降り立った瞬間に、セブ島に孤児院をつくろうと決めた衝撃的なできごとがあったんです。
13年前のセブ島は今以上に発展途上国。空港にはたくさんのホームレスとストリートチルドレンが住んでいました。そんな中、まだ言葉も話せない2歳くらいの女の子がボロボロの服をきて、ボロボロのコップを持って、「ワンペソ!ワンペソ!(※1ペソ=2円)」と駆け寄ってきました。同じ人間の子どもなのに、正直とても怖かったんです。どうすることもできず、ただただ号泣してしまいました……。
その後、セブ島には3カ月お世話になりました。たくさんのことを学ばせてくれたセブ島に恩返しがしたい、絶対に30歳までに戻ってきて孤児院を建てようと決めました。」
ボロボロの建物をDIY
寺子屋オープンまでの道のり
こうしてセブ島に孤児院をつくることを決意したAnyaさん。紆余曲折しながらも、再びセブ島に再び戻ってきたのは13年後の2019年8月のこと。波乱万丈の寺子屋オープンまでの道のりがスタートします。
Anyaさん:「フィリピンで外国人が孤児院をつくるのは、なかなか認可がおりにくいんです。そこで、まずは寺子屋をつくることにしました。
13年間でセブ島はかなり変わっていました。空港はきれいになりホームレスもいない。でも、街中のスラム街が増えていたり。13年ぶりなので知り合いもいないし、ゼロからのスタートでしたね。まずは場所を探そうと、タクシーの運転手さんに「貧しい地域に連れてってほしい」とお願いして連れてきてもらったのが、現在のAnya’s HOMEのエリアです。」
Anyaさん:「まずはそこに足を踏み入れて、毎日視察に行き、配給をすることに。観光客が来るような場所ではないので、最初は「誰だ?何だ?」とあやしまれましたね(笑)
このエリアは墓地が多く、そこで暮らしている子どもたちも沢山いると知りました。そこで、墓地に暮らす子どもたちが通える場所に寺子屋をつくろうと決め、スラム街を練り歩き物件を探しました。こうして見つけたのがAnya’s HOMEの建物です。でも「オーナーを紹介してほしい」と周りの人に聞いてもなかなか英語が通じないし、面倒なことには関わりたくないとあしらわれてしまう。何度も何度もしつこくお願いして、やっとオーナーのところに連れてってもらい借りられることに。諦めなくてよかったです。」
こうして校舎として選んだのは、第二次世界大戦の頃から建っている築70年ほどの物件。壁はボロボロ、雨漏りもひどく、直さなければいけない箇所が山ほどありました。
Anyaさん:「従業員もいないし、知り合いもいない。1人でDIYをはじめました。けど、毎日のように窓ガラスを割られ、ゴミを投げ捨てられ、日本語も英語もほとんど通じない環境。本当に辛かったですね……。
そんな中、毎日毎日「手伝うことありませんか?」と声をかけてくれる人がいました。今は従業員として一緒に働いてくれているマルリンさんです。でも、当時の私は誰も信じられなかったんですよね。窓ガラスを割るような人たちなのだからと。それでも毎日のように声をかけてくれて、毎日手伝いに来てくれました。」
こうして2カ月をかけ、校舎が完成。オープニングパーティには、500人〜600人もの人が集まったのだそう。
Anyaさん:「寺子屋が開校してから半年ほど経ったとき、マルリンさんがこんなことを言ってくれたんです。「あにゃさん最初はとても怖かったです。見た目も強いし、口調も強い。でも私はあなたと働きたかった。諦めなくてよかったです」と。その言葉を聞いたとき、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになりました。私だけじゃここまで来られなかった。今でもすごく助けられています。」