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こんにちは。愛知県在住の版画家、伊藤里佳です。今日は一宮にある素敵なレストラン「織部亭(おりべてい)」を紹介させていただきます。
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織部亭外観
織部亭は、一宮インターの近くにあります。路地を抜けたところ駐車場も10台ほど停められます。
織部亭では、現在織部亭35周年記念企画、私の一点「つながる原風景」という展覧会を開催しています。
天井からかかる布は、常設の庄司達さんの作品。透き通る美しい花瓶に生けられている花は奥様の千恵子さんが生けています。
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瀬古清水さんの作品「木漏日」エッチング、アクアチント
織部亭はたくさんの作品であふれています。
レストラン「織部亭」誕生までの物語
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織部亭のオーナー、大島誠二さん
35周年の記念展を迎えた店長の大島さんにお話を伺いました。
織部亭のオーナー、大島誠二さんは一宮で育ちました。高校生の時に飲食店でアルバイトをしたことがきっかけで「料理人になりたい。」と決意した大島さん。「3年くらいホテルで働いて、23歳で独立しよう!」と、夜な夜な店のデザインやメニューを考案したり、売り上げ目標を考えたりして高校生活を送っていました。
高校の先生に勧められるままに進学したのは、名古屋市立栄養専門学校(平成15年に閉校)。そこでは栄養学や細菌学の学問が中心で、大島さんの学びたいこととは違っていたのだそう。卒業後は日赤病院で栄養士として働き、夕方からはレストランでアルバイトをして料理の腕を磨き、23歳で一宮に「ゆうとぴ庵」というコーヒー屋さん開店しました。
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ゆうとぴ庵内観
大島さんが初めて絵を購入したのは高校生の頃。当時アルバイトしていたレストランに行商が絵を売りに来ており、そこから選んだ15,000円の絵でした。当時のコーヒーは、1杯100円、アルバイト代は時給150円〜200円ほど。15,000円という金額は高校生の大島さんには大金だったはずです。
ゆうとぴ庵をオープンした23歳の大島さんは、お店に飾るためにヨーロッパの版画(タピエス、サン=ローラン、カシニョール、ビュッフェなど。)を買いはじめました。そしてしつらえを学ぶために茶華道を習いはじめました。作法を学ぶうちに道具を自分で作りたい!と、当時一宮駅の裏にあった藤陶芸道場に365日通い、花器、茶碗、コーヒーカップを作り、店で使ったり人にあげたりするように。
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大島さんの作った陶芸作品
ゆうとぴ庵を切り盛りしていくうちに、喫茶店ではなく、料理を中心としたお店をオープンしたいと考えた大島さん。夜間の菓子高等職業訓練校に通い、製菓衛生士の資格を取得し、1985年、レストラン「織部亭」をオープンしました。
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織部亭の外観
「織部亭」を建てるために設計を頼んだのは義理のお兄さんである、ユニテ建築計画の川島秀志さん。「ゆうとぴ庵」や、後にはじめる「ギャラリーOH」も設計してもらっています。お義兄さんが当時桜画廊に出入りしており、その画廊の取り扱い作家である庄司達さんに設計の段階から依頼をして常設の作品を制作してもらいました。
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建物内、開放部に常設されている庄司達さんの作品
この織部亭の建物は当時大変注目され、お義兄さんのところにもたくさんの建築の注文依頼がくるほどでした。そして、織部亭にも建築を目的に建築家やアーティストが集まるようになり、バブルの時期も相まって、毎日人が集まり部屋は予約でフル稼働していました。
「ギャラリーOH」をオープン
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今は使われていませんが、左右の部屋を、個室やギャラリーとして使用していました。
織部亭は名古屋芸術大学と近く、当時から学生や教員がよく訪れており、当時の版画コースの教授・滝沢さんから「作家はいくらでも紹介できるから奥の部屋をギャラリーとして使うのはどうか。」と提案されました。
織部亭の空間を実験的にギャラリーとして使っていた大島さんは、織部亭開店から3年後、本格的に「ギャラリーOH(オー)」をオープンします。
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ギャラリーOH内観
ギャラリーOHの名付け親は、今も織部亭の入り口に作品がある国島征二さん。グランドオープンは、国島征二さんの展覧会でした。その後も地元の作家さんや、若手作家、外国の作家と幅広く作品を取り扱い、経営していました。
癌を患い、15年続いたギャラリーが閉廊に
「ゆうトピ庵」「織部亭」「ギャラリーOH」と3つのお店を朝から晩まで(時には朝まで)フル稼働で切り盛りしていた大島さんは血液の癌になってしまい、15年続いたギャラリーは閉廊せざるを得なくなってしまいました。大島さんが44歳の時でした。少しぐらい体調を崩しても休もうとは思わず、気づかないうちに無理が続き体を壊してしまったのです……。
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織部亭の入り口にたたずむ国島征二さんの作品
1年に及ぶ治療は過酷で、無菌室で抗がん剤治療を受けモルモットのような生活だったのだそう。「ここ(織部亭)に戻ってきたい!」という思いで治療に向き合い、外泊許可が降りると、お馴染みの作家が集まり励ましてくれて、とても力になったと語ります。
幼い頃から人を集めて喜ばせることが好きだったという大島さん。人を驚かせたり、喜ばせたり、自分でしつらえた空間に人をもてなしたり、何か提案をしたい、そして何より喜んでもらいたいと考えています。病気がよくなってからは、織部亭はランチのみの営業を続けています。
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織部亭の空間
「人ってなかなか器用に生きていけないじゃない、本当の姿と接しながら力になれることがあればなりたい。否定するのではなく、肯定しながら心地よい場所にしていきたい。」そして、「仕事をとおしてたくさんの人と話すことがあるけれど、話をすればするほど何か抱えて生きている人ばかり。”隣の芝は青い”というけれど、青い芝なんてどこにもないんだよ。」と教えてくれました。
そんな大島さんはオープニングパーティが大好きです。人前で話すことが苦手でしたが、克服し、今では自らが司会進行し、人が集まったときのサロンとしてひとりひとりを際立たせたいと考えています。ギャラリーをすることによって散財してきたけど、お金儲けではなく色々な豊かさをもらっているそうです。
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カウンタースペース
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カウンタースペースの向かいにあるスペース。パーティの時にはお料理が並んだりすることも
ギャラリストであり、飲食店経営者であり、面倒見の良い大島さん。大島さんは不思議な魅力を持つ人で、お話しているとうんうん、と聞いてくれて、包み込んでくれるような、浄化されるような感覚があります。それは大島さんが人間というものが好きで、真っ直ぐに向き合って受け止めてくれているからだと感じます。