レトロでかわいい!INAXライブミュージアムにて「和製マジョリカタイル」展が開催中
目次
「ヴィクトリアンタイルへの憧れから始まった」
こちらのコーナーでは、「ヴィクトリアンタイル」の紹介がされています。
「和製マジョリカタイル」の源流は、イギリスのヴィクトリア時代につくられた「ヴィクトリアンタイル」にあります。1849年に陶磁器メーカーである「ミントン」によって華やかな発色と艶を特徴とする釉薬(ゆうやく)が開発され、多彩色タイルがつくられるようになりました。当初ミントン社での呼称は「マジョリカ」ではありませんでしたが、1880年代には「マジョリカ」と呼ぶように統一されています。
「ヴィクトリアンタイルへの憧れから始まった」というタイトルの通り、ヴィクトリアンタイルのデザインを模倣したタイルが日本でもつくられます。会場内にも、写真右下のデザインにそっくりなタイルが展示されているので、ぜひ探してみてくださいね。
「和製マジョリカタイルの誕生」
明治時代になり洋風建築が日本に入ってくるようになると、「輸入タイルと同じものをつくってほしい」という需要が生まれます。当時の輸入タイルの中心はヴィクトリアンタイル。日本の内装タイルメーカーは、試行錯誤しながらヴィクトリアンタイルを模倣しながら同等レベルの製品をつくりあげます。そして、単に模倣するのではなく、さまざまなアレンジを加えたバラエティ豊かな「和製マジョリカタイル」が続々と誕生していきます。
例えば、写真左の「タチアオイ」柄タイルは、ヴィクトリアンタイルのレリーフを模倣しながら釉薬の色を変化させることで、豊かな表情を生み出しています。
写真右は現代のタイル製造技術で復元したもの。INAX ライブミュージアム内にある「ものづくり工房」でつくられました。同じ柄でも、色が変化するだけでこんなにもイメージが変わるんですね。そしてなんと、こちらの復元タイルは購入することもできます。(展示品20点限定。¥3,500(税別))
「世界へ羽ばたいたマジョリカタイル」
当時のカタログ。日本語の表記はなく、タイルの多くが海外へ輸出されていたことがわかります。
大正9年(1920)、不二見焼製のタイルが上海へ出荷され、日本からのタイル輸出の先駆けとなりました。第一次世界大戦後の反動不況のさなか国内での需要が減少し、タイル業界は輸出へと力を入れはじめます。和製マジョリカタイルの輸出は昭和6〜7年(1931〜1932)頃に最盛期を迎えます。輸出地は中国・台湾・東南アジア・インド・中南米・オーストラリア・アフリカなど多岐にわたりました。
1895年から1945年までの50年間、日本の統治下にあった台湾。台湾では、豊かさの象徴として、住宅の屋根や玄関周りなど外からよく見える場所に高価なタイルを張るようになりました。台湾の文化の一部になったのだそう。そうした背景から、2016年には、1,500点もの和製マジョリカタイルを展示する「台灣花磚博物館」も誕生しました。
その他にも、アフリカ、インドなど世界でのマジョリカタイルの歴史が紹介されています。マジョリカタイルは世界中で愛されているタイルだということがわかりました。